最高峰にのぼる5

 タイの最高峰ドーイ・インタノンへの登山隊の隊員は、カレン族の輸送隊のあとを歩き、植物を採集し、アスマン寒暖計で温度、湿度をはかり、光度計で林内の受光量を測定し、写真を撮る。
 隊員の一人は銃をかついで、腰に弾帯をまいている。
 《二三〇〇メートルあたりから、わたしたちは蘚苔林(モス・フォレスト)に入った。すべてが、コケにおおわれているのである。木の幹から、木の葉の表面まで、コケが生育している。そして、木の間からもれてくる逆光線をあびて、そのコケが一せいにかがやく。あたりは、金緑色のやわらかな光に包まれる。
 熱帯の山の、上の方は、いつも雲がかかっていて、常時湿度が飽和状態に近い。それでこういうものができるのである。わたしは、蘚苔林に入るのは初めてではない。戦前のことだが、ミクロネシアのポナペ島で経験した。あの、ナーナラウト山というのは、わずか八〇〇メートルに満たない山だった。あの山のにくらべると、ドーイ・インタノンの蘚苔林は、くらべものにならないほど大規模である。
 五時、ついに山頂に達した。》梅棹忠夫著『東南アジア紀行』(219〜220ページ)
 山頂付近は昼なお暗い大森林だった。
 この日は、山頂から二〇メートルほど下ったところにある高層湿原の真ん中にある島に、ぎりぎりテントを二つ張って九人が寝た。カレンたちはテントをもっていないので、すこし離れた森の中の斜面に、火をたきながら夜を明かすのだった。
 その夜、「ウォーッ」というほえ声がした。
 大きな声で、森林にこだました。
 しかし、野獣はついに姿をあらわさなかった。
 翌日の午前六時、寒暖計は氷点下三度を示した。
 下りは、パーモンのベースキャンプまで、まる一日かかった。
 あくる朝、カレン族たちに金を払い、荷物を馬につんでパーモンを発つ。
 一日歩いて、ソップ・エップに泊まり、《翌日の夕方、やっとジープのおいてあるメー・ホーイの村にかえりついた。けっきょく、ドーイ・インタノンにのぼるのに、まる八日かかったことになる。》(225ページ)
 このあと、チェンマイへ帰ると、こんどは北部国境への旅をはじめるわけです。類人猿探検隊です。
 それは、タイの最高峰ドーイ・インタノンへの登山とはまた別の話で、梅棹さんらの東南アジア研究の踏査はつづきます。

東南アジア紀行 (上巻) (中公文庫)

東南アジア紀行 (上巻) (中公文庫)