畑でレッスン・山田五十鈴


 街路樹のハクモクレンの花が開いた。白いモクレンの花で大きな花びらである。
 間近に見ると、風にゆれゆらゆらと花が動く。
 

モクレン科の落葉高木。三月ごろ、香りのある白い大きな六花弁を開く。蕚(がく)は三枚あり、花びら状。葉は倒卵形。中国原産で、庭木とする。玉蘭。白蓮(はくれん・びやくれん)  『大辞泉

 

 「生誕100年 木下惠介監督特集」が2月、3月の2ヵ月にわたり上映されている。
 木下惠介監督の映画『破れ太鼓』(1949年、松竹、108分、白黒)に、滝沢修東山千栄子がバイオリン弾きと絵描きの夫婦役で出演していて、その息子の貧乏絵描きの野中青年を宇野重吉が演じていた。
 滝沢修のご子息で滝沢荘一氏の本、『名優・滝沢修と激動昭和』(新風舎)を読む。家族から見た滝沢修の生涯を明かしている。
 あまり父の演劇に関心のなかったという著者が書いているので、築地小劇場時代の話はあまりないのだが、「第四章 思想検事との対決」、「第五章 東京拘置所での日々」、「第七章 農家に弟子入り」などの章が興味深かった。
 「第八章 農作業に見つけた喜び」の「四 山田五十鈴に畑でレッスン」では、戦時中、山田五十鈴さんが芝居について教わりたいと訪ねて来たエピソードが述べられている。

 その箇所を引用すると、

 修は短期間で、かなりのベテラン農民になっていた。訪ねて来た作家や俳優たちに芋などを気前よく分け与え、大歓迎された。リュックサックに農産物をギッシリ詰めて、昔住んでいた新大久保の棟割長屋の人たちに配ったりもした。
 そんなある日、和服姿の美しい女性が修を訪ねて来た。若き日の女優・山田五十鈴である。芝居について、いろいろ教わりたい、と言う。修は「忙しくて、とても手が離せないから、それは出来ない」と断った。しかし、山田五十鈴は「畑でいいから、セリフ回しなどをどうしても習いたいんです」と強く迫った。修は本当に五十鈴を畑に連れ出した。
 トマトとキュウリ畑には、交差させた竹が立っているので、多少、日陰になっている。修はそこにむしろを敷いた。
「本当に、ここでよければ、あなたのセリフを、ぼくは手を休めないで聞いてあげられるけれど――」
 五十鈴は、何のためらいもなく、むしろに座った。
「ただ、ぼくは、あなたのセリフを聞きながら、耕していく。向うのはじまで耕すのだから、セリフを読むのは大変だよ」
「私は構いません」
 五十鈴は、台本を出すと、一生懸命にセリフを読み始めた。修はそれを聞きながら、クワを振り続けた。[この人は、えらい人だ]と思いながら――。
 農作業が一段落したところで、修は自分が作り、井戸水で冷やしておいたスイカを出した。拳固でパッと割って、「ハイ、どうぞ」と五十鈴に差し出した。五十鈴の顔が輝いた。 
 五十鈴が芝居の勉強に通って来る度に、修は自分が作った野菜をお土産に持たせた。  139〜140ページ