不良定年への指南書『徒然草』

山茶花

 川を渡っていると、カモメが飛んで来た。頭の上を飛び越えて行く。二羽が青い空へ舞い上がり、舞い降りるような飛行をしていた。正午過ぎだが、ヘリコプターが晴れわたった青空に位置を保ったままの静止飛行をしていた。その音がかすかに聞こえて来る。
 山茶花の花が満開で、青い空にはトンビが舞っていた。夕方、カモの群れが川に浮かんで泳いでいた。川岸近くの浅瀬ではなにやら餌(えさ)をついばんでいる。群れは二十五羽くらいの一団だった。
 嵐山光三郎の『不良定年』(新講社)の「序章 不良定年として生きる」は徒然草を不良定年への指南書として読んでいる。

 『徒然草』を読むと、兼好が捨てたのは世間ではなく、世間のわずらわしさであることがわかる。兼好は「仏ごころ」を説きつつも、来世のことなどいささかも信じてはいなかった。隠者の姿をした現実主義者であった。
 西行も兼好も不良定年者であった。
 芭蕉も一茶も不良定年者であった。
 そして平成の時代には、不良定年となって悠々とわが道をいく諸先輩がいる。私もまたそうなりたいと願う。  49頁

 坂崎重盛の『「秘めごと」礼賛』(文春新書)が今月の新刊で出た。坂崎さんは嵐山光三郎によると「私をおびやかすライバルである。」そうだ。
 その坂崎重盛氏については、後で書いてみよう。先日、亡くなられた河原淳さんとのつながりと言えばいいのか。その辺を・・・。