雲裡房とは何者か

 朝から、風雲急を告げるではないが、雲が西へかなり速い動きで流れて行く。
 台風が近づいているからだ。夕方に交通機関が運行中止になる。
 『蕪村句集』に、

鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
門前の老婆子(らうばす)薪貪(たきぎむさぼ)る野分かな

 二句とも、明和五年(1768年)八月十四日の句である。宝暦十年(1760年)の句に、

  雲裡房(うんりぼう)、つくしへ旅だつとて我に同行
  をすゝめけるに、えゆかざりければ
秋かぜのうごかして行案山子(ゆくかがし)哉

 宝暦五年に、〈雲裡房に橋立に別る〉として、「みじか夜や六里の松に更けたらず」の句がある。うーむ。雲裡房とは何者か。『蕪村句集』の脚注に、

「青飯法師」(句帳)。渡辺氏。尾張俳人。支考門。

 講談社のPR誌『本』2006年9月号で、鏑木蓮の「シベリア抑留者に導かれて」という文を読んだ。『東京ダモイ』という小説の執筆理由が語られている。〈関東軍を始め約六十万人の日本の軍人、軍属が極寒のシベリアで重労働に服した事実〉、これほどの歴史的事実を風化させてもいいのだろか。ご自分のお父様が何も告げずにこの世を去られたこと、その〈なぜ、病に倒れるまで何も語ろうとしなかったのかなど〉から、事実を伝えるだけの小説ではなく、謎解きを楽しんでもらいながら、こんな歴史もあったのかと知ってもらえるだけでもいい、として執筆したそうだ。第52回江戸川乱歩賞、受賞作。