セシル・アンドリュさんの「原稿用紙の升目」

 夕暮れの南東の空を眺める。雲ひとつなく晴れ渡った空に、十三夜の月が高く昇っていた。月が美しい。しばらく見とれていた。
 十三夜とは、

陰暦九月一三日の夜。八月の十五夜に次いで月が美しいとされ、「後の月」という。十五夜の月を芋(いも)名月というのに対し豆名月・栗名月ともいう。  『大辞泉

 蕪村の句に、「泊る気でひとり来ませり十三夜」。天明二年九月十三日の句である。
 『蕪村句集』には、この句の後に、二句あって、
 十月の今宵はしぐれ後の月
 唐人(からびと)よ此(この)花過てのちの月*1
 唐人の句は、明和五年九月十一日の句である。
 鬼貫に「後の月入りて貎(かお)よし星の空」の句があるが、この句もいいね。
 
 昨夜のNHK教育テレビの「視点・論点」が面白かった。
 セシル・アンドリュさんの「原稿用紙の升目」と題した、フランスと日本の原稿用紙についての話である。
 フランスの手書きの原稿用紙と較べると、日本の原稿用紙は細部が独立している。それは、日本語の書き言葉・文字の構造に由来するのではないか。アルファベットと違って、日本の原稿用紙の升目の「独立性」にアンドリュさんは注目していると言う。それは、自らの作品を作っていくときのヒントにもなっていると。この辺は、アンドリュさんの芸術論だろう。
 途中、イタロ・カルヴィーノの言葉を引用しながら、フランスでは言葉が優先される文化であり、日本の沈黙を求める文化は世界の問題を考えるうえで、参考になると思う、と話されていた。
 原稿用紙の升目に、文化の違いを見つけ、それを探って来たアンドリュさんが、作品を作っていくときの手がかりにもしている様子がうかがわれる。 
 夜半に外が明るいので出てみると、月は南西にまだ高く輝いているのだった。

*1:この句の前書きに、「十三夜の月を賞することは、我(わが)日のもとの風流也けり」とある。脚注に、《中国にはこの風なく、日本で平安中期に始まった。》