無花果にゐて蛇の舌みえがたし

 曇り、最高気温27℃、最低気温20℃。
 無花果(いちじく)が色づいている。園芸店で無花果の苗を見かけた。挿し木でふやすという。
 天高く馬肥ゆる秋である。

 

クワ科の落葉高木。高さ約四メートル。葉は手のひら状に裂けていて互生する。初夏、卵大の花嚢(かのう)を生じ、内部に多数の雄花と雌花とをつけるが、外からは見えない。熟すと暗紫色になり、甘く、生食のほかジャムなどにする。茎・葉は薬用。寛永年間に渡来した。日本のものは雄花を欠き、挿し木でふやす。いちじゅく。 『大辞泉

 「無花果にゐて蛇の舌みえがたし
 「秋暑く曇る玉蜀黍(もろこし)毛を垂れぬ

 飯田蛇笏の「山響集」の昭和十三年の俳句から。*1

 紀伊國屋書店のscriptaの最新号を入手した。2014年autumn通巻33号。
 連載「中古典ノススメ」が、「五〇年前の警告〜丸山真男『日本の思想』(一九六一年)」の巻だった。*2 
 採り上げているのが、斎藤美奈子さんで、

《その昔、私が学んだ高校の教科書には「『である』ことと『する』こと」という評論文が載っていた。(もっとも授業内容をまるで覚えていないのは私がよほど怠けていたせい?)今日の現代文の教科書でもいちおう生き残っているらしく、定番教材とまではいかなくとも、かなりの数の日本人が高校時代にこの文章にふれていることになろう。  2ページ》

《どうですか、これ。半世紀後の現在も全然変わっていないと思いません? いったい私たちは、これまで何度「民主主義の破壊だ!」という言葉で、政府を批判してきたことだろう。が、丸山はそうした批判の仕方を、〈ある一定の「状態」を神聖化〉する態度にほかならないというのである。ガーン!
 乱暴に要約してしまうと、『日本の思想』を貫いているのは、このような「日本的な思考の型」の特質がどんなもので、それはどこから来たのか、という問題意識である。  3〜4ページ》

《この五〇年、右派も左派もまるで成長していない(というか後退している?)ことだけはよーくわかる。〈恐ろしく陳腐な批判様式〉から抜け出せという警告と私は読んだ。それ以外の使い道は・・・・・・ないでしょう、もう。  4ページ》
 他に、「中年の本棚」(荻原魚雷)の第七回「隠居前の藤枝静男」を読む。

*1:山響集(こだましゅう)。

*2:丸山真男丸山眞男