2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

空と曽良

夕方、南の空に高く上弦の月が眺められた。快晴で北西の風が強い。大気は乾いている。街路樹の夾竹桃の花が満開だ。 キョウチクトウ科の常緑低木。株立ちとなり、葉は竹に似て、三枚が輪生。乳液に毒がある。夏、紅色の花を開く。花は先の五裂する筒形である…

「夢の如く」

通りの街路樹に大きなカシワの木がある。かしわ餅の葉に使われるカシワだろうか。 高さが15メートルほど。幹も太い。葉が大きい。丸みのある鋸(のこ)の歯のような形をした葉である。 ブナ科の落葉高木。葉は短い柄をもち互生し、倒卵形で厚く、縁に波形…

ハスとルイズ・ブルックス

公園の池に寄る。何時(いつ)の間にやらハスの葉が水面にまだら模様のように広がっていた。 日々、緑色の植物の葉がぐんぐんと育つ。目には青葉山ほととぎすの季節である。 蕪村の句に、「飛石(とびいし)も三ッ四ッ蓮(はす)のうき葉哉」。明和年間の句…

掛取万歳とネムノキ

5月21日は二十四節気のひとつ小満であった。 草木が茂って天地に満ちる頃をいうらしい。 街路樹に大きなネムノキがある。葉が正午ごろは開いていたが、夕方に見ると葉と葉が合わさるように重なっている。しかもだらりと垂れ下がっているのだった。 マメ科…

素白さんと1968

通りの歩道に沿ってクローバーが一面に広がっている。まるで牧草地のようだ。 その中にあちこちにハルジョオンが背を伸ばして生えていた。 キク科の多年草。高さ三〇〜六〇センチ。全体がヒメジョオンに似るが、茎は中空で、葉の基部は茎を抱き、五月ごろ開…

「視覚の魔術 だまし絵」

正午前より小雨になる。午後三時ごろより雨あがる。 今週、公園の池に睡蓮が咲いていた。水面からあちこちに淡紫色の花が見られる。 蕪村の句に、「草の雨祭の車過(すぎ)てのち」。 朝、NHK教育テレビで「だまされて“見える”錯視芸術の快楽」と題した番組…

人生の乞食

タンポポの綿毛がふんわり白く見える。爽やかな風に乗って今にも空へ舞い上がりそうだ。 そんな詩集を読んだ。いや、そんなことはない。というかもしれないがそんな詩もある。 四方田犬彦の詩集『人生の乞食』2007年(書肆山田)に、「137」という詩…

「日曜美術館」でパウル・クレー

白梅の木に梅が実っている。蕪村の句に「青梅に打鳴らす歯や貝(バイ)のごと」。安永五年五月十日の句である。 朝、NHK教育テレビの「日曜美術館」で、「戦争と芸術 クレー 失われた絵」を観た。 ドイツでナチスによって危険な表現者、退廃芸術家として目の…

「1968」と「五月のミル」のこと

五月五日は二十四節気のひとつ立夏。目に青葉で、桜の木に紅色の果実が実っている。 桜の果実の総称。特にセイヨウミザクラの実をいい、六月ごろ紅色・黄色に熟したものを食用とするほか、缶詰・ジャムなどにする。おうとう。さくらんぼ。 『大辞泉』 8日、…

青草と『芭蕉めざめる』

元禄二年三月二十日に江戸、深川から旅立ち、同年八月二十一日に芭蕉の大垣到着をもって終わったとされる『奥の細道』の旅。 三月二十日というのは、西暦なら一六八九年五月九日にあたるという。 ちょうど今頃の爽やかな季節に五ヵ月にわたる「陸奥(みちの…

まだ長ふなる日に春の限りかな

川を渡っていると、浅瀬にアオサギがいた。 蕪村の句に、「まだ長ふ(う)なる日に春の限りかな」。 園芸店でミズナス、ズッキーニの野菜の苗を購入。ズッキーニの苗は初めてである。 福原麟太郎・著『読書と或る人生』1979年18刷(新潮社)をブックオ…

ジャリリ監督の『ダンス・オブ・ダスト』

アボルファズル・ジャリリ監督の『ダンス・オブ・ダスト』(1992−1998年、イラン、75分、カラー)を観る。映像文化ライブラリーで、観客は30人ほど。 冒頭、「この映画には字幕を付けない」と監督の意向が「字幕」で表される。 今にも嵐がやって…

ジャリリ監督の『トゥルー・ストーリー』

5月は「奇蹟の映像 アボルファズル・ジャリリ監督特集」を映像文化ライブラリーで開催している。 1日の『トゥルー・ストーリー』(1996年、イラン、125分、カラー)を観た。 映画の始まる前に、ロビーにあるテーブルに展示されているペルシャ絨毯(…